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2021.03.07

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キュリー夫妻の家族

 マリア・スクロドスフカがポーランドで生まれたのは1867年でした。10歳の時に母が亡くなり、5人の姉妹で助け合うように生きていました。1891年にフランスの出たマリアは、ピエールと結婚してマリー・キュリーと改名しました。

 マリーが多忙であったため、娘のイレーヌは夫の父ドクトル・キュリーに子守をしてもらっていました。この間、マリーは放射線物質の研究に情熱を注ぎ、ついに1902年にラジウム塩の抽出に成功しました。この業績により、キュリー夫妻にはノーベル賞が与えられました。

 1906年、なんとピエールは交通事故で亡くなってしまいました。ドクトルは亡き息子の代わって、悲しみに打ちひしがれる母娘を支え続けました。内向型の性格だったイレーヌに、ドクトルはバランスの良い精神教育をしたと言われています。

 マリーは1934年、悪性貧血により亡くなりました。イレーヌは、父ピエールの血と祖父の教育、母マリーの感化を受け放射能の研究に打ち込みました。そして1935年に両親と同様に、夫と共にノーベル賞を受賞したのです。38歳での受賞は、母マリーの36歳に次ぐ、女性で2番目の若さでした。

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